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【銀河の音とギャラクティックシャーマンへの道】を終えて

2019.12.17(Tue)

12月14日の【銀河の音とギャラクティックシャーマンへの道】を終え、翌日は仲間の天天を始め巫女魂達と大阪堺市にある仁徳天皇に行ってきました。
そして今日は沖縄に来ています。

Facebookを見ると、【銀河の音とギャラクティックシャーマンへの道】のコメントや写真が掲載されていました。

この様な講演会のコラボは、そう簡単に巡り合う事はありません。

あすわ代表秋山氏
マヤ歴の暦を研究していく中、あのマヤ族の大長老のドン・アレハンドロ氏を招く事になりました。

秋山氏はドン・アレハンドロ氏が何故日本に来日出来たのかも知らず、何度もガテマラを訪れています。
今年にはいり、初めてその経緯を私から直接聞くことになりました。

ヒーリング音楽、ネィティブ音楽を奏で、日本の神社仏閣においても音を奉納されている世界的に活躍している岡野氏
岡野氏は私の知人でもある、ホピのメッセンジャーのロイ長老とも縁が深い。
更に見えない糸を手繰ると、2010年10月に奄美大島に来るはずだった13人のグランドマザー達が台風の影響で、奄美大島でのセレモニーが出来ませんでした。
私は大いなる存在達より、マザー達が日本に来れない事、どのような事があっても必ず四元素の創り直し儀式を行うように神託をうけます。
その儀式に使われた火はある星の石が元になり、その火は1000年も護摩焚きされ、そして時を経て普門寺というお寺に広島原爆もわけ火としてそこへ遣わされ、合わさった火が、あの奄美大島での神事に使われました。
広島の原爆の火を、ある人物から預かり、主な所に持っていたのが岡野氏になります。
()この事もイギリスグラスストンベリーであった時に初めて岡野氏より伺いました)

2010年11月に京都の阿含宗の火祭りにおいて、マヤ族のドン・アレハンドロ大長老を始め他の長老達と共に火の祭典が行われました。
私は、マヤ族=マヤの神々と日本の火の阿含が如何言うモノか、確かめに一参加者としてその祭典にいきます。
このセレモニー内容を見て、『全ての神が鎮座する台座を全て変えろ』とある神託がおります。

そして、私は琉球・日出国の行く末を更に垣間見る事になりました。
さて、この火祭りの音楽プロデューサーされたのが、他でもない岡野氏になります。これも、今回岡野さんから聞いて初めて知りました。
ほんとに神々と言うのは実に面白い事をされる。

私は自分の登壇のある内容の一部の話をする前に
会場の人達に次の事をお願いしました

・考えてみてください
・祈りとは何だろう
・神事・セレモニーとは何だろう
・人の心・魂とは何だろう
・神とは何だろう
・人は何だろう
と・・

今回の事柄において、あすわ関係者から私のblogを見られている方達から、更に、広がり私のblogの内容を読む方達が出て来るでしょう。
私のあの内容を聞いた方達にしか、次に載せる神意識と言うのを感じる事は出来ないかもしれません。

あの講演内容に出て来る方達に対して、更に大いなる存在達の続きがあります。
我々に宿る母神達は、あの者達を何とか救ってほしいと大いなる存在達に訴えます。

すると、二神のヌベア神とオシナベ神と言う存在達が次のように伝えてきます。

・あの者達は、串刺しにあったモノ達であった。
(原始・原初の存在達より前世において霊的魂の神判を受けた者達)
・串刺しにあった者達は掬いあげたにも関わらず胡坐をかいた
・二神の一つは、元の串刺のモノにしようとした。
・しかし、もう一つ神はそれをまた掬いあげようとする
・すると串刺しにしようとした神は
『もうちっと、串刺しにしておけばよかったのに、そうやって手の中にいれても、あの者達はお前の涙をしらぬ』
・『人の子(人と言う人間の霊魂)を、お前が掬い上げても、その手の中から滝の様に涙がこ零れ落ちても、人はそれでも救われる意味を知らぬ』
と、突き放す内容の神託がおりています。

12月14日の私の登壇内容は二度と再演することありません。
あそこでしか、聞けなかった話しの内容になります。
ほんとに人と言う霊魂はこれで良いのか?、人と言うの自分の過ちを覆い隠すために、何をしでかすのか?

祈りと言うのは
人の為にやるのか?
神の為におこなうのか?

セレモニー、神事と言うのは
人の行為で行うか?
神と称するモノ達が行うのか?

宇宙といわれる大いなる存在達が目にするのか?

さてどちらでしょう・・

あの会場で行われた最後は
秋山氏と私と岡野氏とのコラボの祈りと音霊で締めくくりました。
打ち合わせは当日順番を決めただけで、練習などと言うもの全くしていません。

まして、神降り・神義式に加え、岡野氏の共鳴するような祈り音、大いなる存在達の波長・音の神は、あの日にしか出会えず、あの時の空間でしか、聞く事ありませんでした。
私自信、秋山氏や岡野氏をほめるわけでありませんが、職人・匠となると、あーもなるのかとお二人を見つめてしまいました。

そして神事においては、体中の血肉が騒ぐと言うか心地よいと言うか、グラストンベリーで水の神事をした時もそうですが、会場に来られている方達を私の肉体を通して私の目を通して大いなる存在達がジッと見つめているのを感じていました。

今回仲間内の天天も巫女魂もきており、私達が行う様を観察していました。

天天は私の神事がおこなれる時に、次の神託・ビジョンを伝えて来ました

・セレモニーで扇をヒラヒラとさせている時『月を降ろすか』
・意識体はげってんき(月天)
・ドスの聞いた最後の意識体はダキニテン

私自身は講演会前からクリシュナやパールバティと他にも別な神託を呟いています。そして全て終わった後ブラフマンと呟いています。
これ等をみるに天界のモノ達が降り立ったようですね

私は2010年の10月の奄美大島の神事を終え、普門寺の千手観音の神事の内容を伝えました。
その時に降りた神託が(一部)
・天部を動かしたか?!
・お前は消えるつもりか?!(奄美大島で行った神事に降りた存在に対して)

それに対して
・そうしなければ次の人類は生き残れない
・人と言うのはこの星も我々星も救うと思い人と言うモノを創った
と神託で言われ・・・
更に龍宮・日出国に対して厳しい内容を突き付けられました。
あの311は、只の世迷言ではないにもかかわらず、この国も者達は何処に目を向けているのだろうか?

この国の行く末を案じても、人と言うモノは何処へ進もうとしているのか?
人と言う御魂は何処へ行き、ちり芥となるかを問われいるのをしっているのか?

・・
マヤの神官、あちらの神々が初めて日本に来日してから12年が過ぎました。
2010年の奄美の神事の五行の儀式・オノコロの儀式、生命の元素の儀式から9年が過ぎました。
さて、マヤ族の長老が来るか否かを聞いた時から13年目にあたります。
そして、我々の啓示に13揃いし時というのもあるのです・・・

会場に来られた方達は、殆どが一般の方達です。
私の肉体を通して、神降り・神ガミが行う儀式を、実際に目にした事になります。(神ガミの世界観の実写)
しかも、『ケイシーのリーデングの中でも最も古い教典はインドのヴェーダ』と言われています。
今回降りたのは、ヴェーダにある宇宙を司るブラフマン、そしてそれらに付随するダキニテンになります。

要するに、お題目通りの者達が降りたち、それらを目の当たりにした事になります。

ダキニテンを調べると人の死肉を喰うとか怖いと言うのがありました。
これは、大宇宙から見るのと人と言う意識で捉えると、こうも違うのかと思ってしまいます。
ダキニテンはバラモン教まで行きつきますが、元々は原始・原初の地球の生命に関わる存在になるわけで、死肉をむさぼると言う意味ではありません。
俗にいう、大地は死があればそれを糧として新しい生命を産みます。
この自然界の成り立ちを人に伝えるためにあのような表現になったと思います。

宇宙の理からすれば、万物の死と生の意味になります。

会場に来られた方達と何時もこのブログを読んでいる方達へ
14日のコラボは本当に一期一会でした。

私はただ頼まれて、講演会も神事も行ったわけではありません。
私自信、人の繋がり、神ガミの繋がり、それらの意図と言うモノを鑑み私なりに協議し決めていきます。

どんなに我々の神託啓示を、巫女魂達に何百年何千年と伝えても心の中に入れるのは、そう簡単に届きません。
まして、人の心、精神性となると更に難しいものです。

私の門下生や知人達の巫女魂達でさえ合う事が出来ない、宇宙論・宇宙神やこの星に関わった原始の者達を見る事は一生の内にあるわけでもありません

今回の私の講演会の一部も、祈り神事はあすわのDVDにも載りません。
再度あのような神事をお願いしたいと、何千万円、何億円と積まれても決して私は行いません
大いなる存在達は、人のお金で如何こうされるものではありません。
神ガミ、大いなる存在をそう簡単に、聴衆の前に見せるものではありません。
ですから映像関係者以外、私が行っている神事の写真は撮らなで下さいと伝えてあります。

あすわ代表者の秋山氏の心意気、神恩を賜り匠となり神音を変える岡野氏がいたから行った神事です。
ダキニテンが何を皆さんに伝えたか、会場の来られた方達は覚えているでしょうか。
ゲッテンもダキニも見定めると伝えたのです。
新たな神話が始まるか否かを見定めると言われたのです。

皆さんがおおいなる存在達の串刺しにならない事を願っています。

この様な神ガミ世界観ですが、会場に来られた方達は、次は、来年10月にあすわ主宰のマヤ族の三長老達のセレモニーにおいて、あちらの神々と会われる事を願っています。

私は沖縄の神んちゅと名をもって神事を司っていますが・・
この様な神事を行うときは、沖縄の神んちゅと言う名は捨てなければなりませんね。
何故なら現在、この様な事をする神んちゅ達と出会っていないからです。
私は伝統的な神んちゅでない事を、このブログを読まれた方は認識されてください。

今年最後の神事が終わりました。

私自身は、自分で言うのも何ですが、義理がたい人と思います。
来週、スイスで大変お世話になった国連に勤めている方が帰国します。
その御夫婦と会ってやっと、この一年が終わります。

後、2週間余り。

次は、この国ある事柄を再度載せて今年を終えたいと思います。

あすわ12月14日⑧ (1)

あすわ12月14日② (1)

あすわ12月14日④ (1)

あすわ12月14日⑤ (1)


あすわ12月14日⑦ (1)


あすわ12月14日① (1)
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Author:FC2USER501272SRU
水の源に母があり、鏡となり、光となる

祈ることは、私の存在意義
厳しい涙の中で生まれる微笑みは
尊いものだと思います

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